貸した本
昔、友だちに本を貸したら、「職場に持っていって、みんなで回して読んでる、ありがとう」と言われた。
私は、私の知らない人に回して読んだの?!と驚いた。
汚さないよう大切にしていた本を、知らない間に、たくさんの知らない人が触ったなんて、受け入れがたかった。
そう、彼女に伝えると、後日彼女は、本を新しく買い直して、返してくれた。
私は、そんなこと望んでいなかったのに、と思った。
私は、自分で書店で選んだあの本そのものに愛着を持っていたのだから。
今度は、本当の気持ちは、彼女に伝えなかった。
ささいなことでも、彼女のしたことは、取り返しのつかないことなのだと、伝えることになるから。
結局、私の本は戻って来なかった。
くい違い、すれ違いというのは、こういう物で、努力しても、うまくは治まらない。
だって、私は本を《生き物》のように扱っていて、彼女は単なる《物》として扱っていたのだから。
ふたりの距離はここにある。
だからこそ、努力しても方向を誤ってしまい、決して距離は埋まらないのだ。
ただ、この出来事には私の感情、エゴが潜んでいる。
私の望みとは違い、この本は、たくさんの人の役に立ちたかったのだと思う。
だから、私の手元から離れていったのだ。
そのことに気づきながらも、あの時は、自分のエゴを捨てられなかった。
今はどうか?
今もそんなに成長していないかもしれない。
ただ、当時より、真実に気づき、従う努力はできるようになったと思う。
さて、皆さんはどうですか?
自分の感情、エゴに惑わされず、真実を読み取れますか?
読み取ったら、エゴを捨て、真実を受け入れていますか?
彼女も、今は、物に命があることを、感じられるようになっているのかもしれません。